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あの147,8キロのストレートに80キロ後半のスローカーブ。

細身の身体からの緩急をつけた圧巻のピッチングは他球団ファンでしたが見惚れました
あのスローカーブは打てそうで打てないの極みでしたね

出来れば全盛期のプレーを生で観たかった選手の1人です。
どの球種も同じフォームとリリースポイントから放たれる白球。芸術的すぎて、ずっと観てても飽きないです。

ヤクルトの伊藤智仁と並んで、高いポテンシャルを持ちながらケガに泣いた投手ですよね。

1試合を投げるスタミナと現役を長く続ける身体の強さは別もの、ハイポテンシャルは身体の負担が大きいんだと改めて気付かされましたね。
現代のスポーツ医学ならば、もう少し出来ただろうと思うと、残念でなりません。

巨人との優勝決定戦で
桑田、槙原、斎藤の
3枚看板で挑んだ巨人に対して

中日は今中1人で立ち向かった。

負けちゃったけど

今中好きなピッチャーだったなぁ
1年目の9月の広島戦相手投手北別府だったかなぁ。中日スポーツの先発予想で両投手が予想されててブラザーと名古屋球場に行ったなぁ…
ただ今中といえば(当時の中日のイメージも)大事な試合で打たれる勝てないイメージがある

9回2アウト完封目前からキャッチャーのサインに首を振りストレートで強引に三振を取りに行って痛打を浴びるシーンが印象に残っている。
でも全盛期は本当に凄い活躍で自分の中では伝説的ガラスのエース。

カーブの使い手として、真っ先に上がる投手。特にスローカーブを不調でも「そんな所で使うのか!」と相手打者は見逃し、解説者は脱帽させながら、本人は無表情で引き上げる「度胸」が抜群。ナゴヤドーム開業後、2桁出来なかったのが何とも。

台頭した93年は今中と共にカーブでブレイクした山本昌、伝説的な高速スライダーの伊藤と、Jリーグ元年に圧された中でも面白い年だった。

左投げの自分は今中投手の映像を見てカーブの抜き方を覚えた。ドラゴンズファンではなかったが、涼しい顔で強気に攻める投球スタイルに憧れていたのを覚えている。引退時に本を出版され「悔いはあります」と語っていた。自他ともに怪我がなければと想像してしまう選手の一人だろう。

全身をムチのようにしならせて投げる姿が、力強く美しかった。
優勝記念のDVDに収録されている「燃えよドラゴンズ 1999」で、ポーカーフェイスで中村に軽くうなずく今中が、印象深い今中の姿そのもので本当に格好良い。故障中にもかかわらず「今でも今中愛してる」と歌われて、「八本柱」に数えられていたのは泣けた。

今中さんはドラゴンズの本物のエースだった。
時代が今ならもっと長いプロ野球人生を送れたと思う。
全盛期、マウンドに立てば勝ちしか見えなかった。
懐かしい^_^

惜しい、ホントに惜しい。少しでも現代のケアが出来ていれば、炎症ある中で指導陣に休ませる発想が有れば、かなりの確率で200勝を狙えた、少なくとも150勝は出来たであろう投手。エースという称号もフィットしていた名投手。
あまり、指導者として聞かないけど何故なのかな?

今中投手が先発の試合は時間が短かった
テンポよく次々とアウトを取りあっという間にチェンジ 見ていて安心できる投手でしたね
将来殿堂入りしていい投手だったと思います

あの147,8キロのストレートに80キロ後半のスローカーブ。

今みたいにイニングを調整しつつ、投げていたら200勝有り得たね。

そして山本昌がどれだけタフで凄かったか改めて良くわかる。

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